第400回市民医学講座:記念講演会

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今年は梅雨が長くもうすぐ8月だというのに、 夏休みに入った子どもたちの歓声も聞かれない。

7月29日(土)、第400回市民医学講座記念講演会がアエル5階の多目的ホールで開催された。 この日も雲が低く垂れ込め、時折小雨がぱらつくあいにくの模様であったが、 会場が仙台駅の隣というアクセスの良さと、 初めての 「託児あり」 も準備して期待が膨らむ。午後1時30分、 司会の鈴木カツ子が開会を告げ、 主催者を代表して梅原克彦仙台市長、 山田明之仙台市医師会長よりご挨拶をいただいた。

記念講演会は50回ごとの節目で行われる。 いままでの講演会のプログラムをご覧いただきたい。

今回の講師は東北大学大学院医学系研究科外科病態学講座救急医学分野教授、 篠澤洋太郎先生が「たすけるのはあなた 災害時における自助・共助 」 というテーマで講演した。仙台はここ20~30年の間に99%の確率で大きな地震災害に見舞われるという。 初期の医療はまず自分で、次に隣組の人々と助け合い地域の医療機関に、 最後にトリアージによって拠点病院へという順番になるだろうと話された (自助 共助 公助)。馴染みのないトリアージを中心に解説し、 その考え方を市民の皆さんにぜひ理解してほしいと述べられた。

二人目の講師は青森大学教授・エッセイスト・ジャーナリストの見城美枝子先生である。 少女のころより優秀で、いつも上を目指し努力し前進してきた女性である。 プロフィールによると早稲田大学大学院理工学研究科修士修了。同博士課程へ進み日本建築の研究を始める。 TBSアナウンサーを経て、 フリーに。 海外取材を含め55カ国以上訪問。 現在青森大学社会学部教授。建築社会学、 メディア文化論、 環境保護論を講義中。 著作、 対談、 講演、 テレビで活躍中。国土審議会委員・中央教育審議会委員・医道審議会臨時委員・日本医師会公衆衛生委員など。

著書は 「タフでなければ女でない」・「見城美枝子の本音で! リフォーム奮闘記」・「会話が苦手なあなたへ」など多数。

「人と自然の豊かな関係」 という題で、 世界遺産白神山地に生きるマタギ、 「森は海の恋人」 という宮城県のカキ養殖業者を例に、自然の恩恵を受けながら謙虚に生きる人々を紹介した。 また日本建築は 「気配の建築」 であるといい、 日本人の細やかな美意識にも触れられた。

仕事をしながら高年初産で4人の子どもを出産したが、 仕事中にチェコで流産するという悲しい経験もしている。出身は館林で団塊の世代のはしりとのことだが、 常に目的意識が明瞭で、 今後の研究課題は 「再生」 であると結ばれた。時のたつのを忘れさせる講演は400人ほどの聴衆を魅了し、 人生に示唆を与えてくれるものであった。

市民医学講座は昭和47年に始まり、 今年で34年になる。 会場の変遷はあったが、 現在は毎月1回 (原則として第3木曜日)午後1時30分より、 仙台市急患センター・仙台市医師会館2階ホールで行われている。

仙台市・仙台市医療センター・仙台市救急医療事業団の協力を得て、これまで講演をお願いした講師は約420名、 聴衆は4万人を超えた。市民のための医学講座として、専門の医師がさまざまな病気や治療、 予防について分かりやすく講演し、また質問にも答えるという形で進められてきた。

最近は資料を保存し自分の健康管理に役立てている常連も多い。 講座はケーブルテレビでも放映される。開催の日程や会場、 テーマについては、 毎月市政だより、 各医療機関にポスターを配布するなどしてお知らせしている。

この長寿講座が今日まで続けてこられたのは、 仙台市医師会員をはじめ、 勤務医、 大学関係者、 行政の方々、 医師会事務局など関係各位の温かいご支援、 ご協力があったればこそと深く感謝している。

「月日は百代の過客にして、 行きかふ年も又旅人也」。 縁あってこの仕事に携わった一人として、 今日、 お目にかかった人々に思いを巡らせながら、 この講座が引き継がれていくことを願った。

市民医学講座記念講演会

第50回
昭和52年5月21日   医師会館5階ホール
162名
 海外事情うらおもて  末 常 尚 志
 食生活と日本人の疾患  槇   哲 夫
 
第100回
昭和56年7月18日   戦災復興記念館
223名
 排尿あれこれ  宍 戸 仙太郎
 俳優と創造  佐 野 浅 夫
 
第150回
昭和60年9月19日   仙台市役所8階ホール
250名
 浴場におけるCO中毒について  赤 石   英
 水は私のパートナー  木 原 光知子
 
第200回
平成元年11月18日   仙台電子専門学校サンホール
730名
 いのち  小 暮 久 也
 医療と人間  鈴 木 健 二
 
第250回
平成6年1月22日   仙台国際センター大ホール
883名
 人は何故がんになるのか
  ―社会から遺伝子まで―  黒 木 登志夫
 生きるよろこび  瀬戸内 寂 聴
 
第300回
平成10年3月14日   仙台市民会館大ホール
923名
 知識をもってがんと闘おう  久 道   茂
 自由と不安
  ―現代人の不安について―  な だ いなだ
 
第350回
平成14年5月11日   仙台国際センター大ホール
517名

 あなたの遺伝子がきめること  松 原 洋 一
 自然がくれたほんものの元気  高 木 美 保

 

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助けるのはあなた、災害時における自助共助

 

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東北大学大学院医学系研究科  
外科病態学講座救急医学分野  
教授 篠 澤 洋太郎 先生

 

 

 「宮城県沖地震」 は30年以内に99%の確率で発生するといわれています。 そこで本日は、 災害医療とは何か、災害時の傷病とはどういうものか、 どう備えたらよいのかというお話をしたいと思います。 災害医療の流れは、 ①発見・救出・現場治療、 ②救急医療期 (48時間)、 ③感染症期 (1-2週) ④保健医療期 (2-3月) ⑤PTSDなどに対する精神的援助 (2-3年)とわけられます。 今回は主にこの①と②の時期についてお話しします。

 

トリアージ (患者選別) の大切さ

一般の救急医療と災害時医療の大きな違いは、 災害時においては、 救急システムが崩壊している状況で、 多数の患者が発生するということです。つまり医療資源が限られた状況で効率的に治療する、 面と網の医療が求められます。

そのためには患者の選別、 トリアージが欠かせません。トリアージには早い判断が必要です。 すべての損傷を確認するのではなく、 致命的な損傷を強調することが必要です。 トリアージでは赤、 黄、 緑、黒色のついたトリアージタッグを使用します。

赤は直ちに処置が必要な患者、 黄色は2~3時間待てる患者、 緑は歩いて移動できる患者、黒は生命徴候のない患者です。 トリアージ責任者の決定には誰も異議を唱えてはいけません。

 

トリアージの実際

重症な患者というのは静かなものです。 うるさい患者、 近くにいる患者が必ずしも治療を必要としているわけではありません。 START (SimpleTriage And Rapid Treatment) 方式というトリアージの実際をご紹介します。 呼吸、 循環、意識の順でチェックしていきます。 呼吸をしていないものは黒。 1分間30回以上と10回以下は赤。 循環は爪を押して再び赤くなるまでの時間、爪床再充血時間でチェック、 2秒以上は赤。 次に意識、 命令に応じない人は赤。

このほかに解剖学的評価も必要です。 頭部陥凹、外頸動脈の怒張、 皮下気腫、 両側大腿骨折、 15%以上のやけどなどは、 赤に分類されます。 昨年のJR福知山線の事故では、搬送された患者さんの中で死亡した人は1人しかいませんでした。

これはトリアージが大変うまくいった結果だと考えられます。トリアージでは最大多数の最大幸福を目指します。 医療資源が不足している災害時においては、 残念ながら全員を助けることはできません。被災者に優先順位をつける必要があるのです。

 

災害時の傷害

地震災害時に最も多い死因は外傷性窒息つまり圧死です。 また長期間圧迫されていた下肢が救出時に圧迫が解かれ、 急激に血液循環再開がおこると、高CPK血症、 高K血症となる挫滅症候群も重要です。 新潟中越地震では自家用車で宿泊した人がエコノミークラス症候群になりました。スマトラ沖地震では飲料水の汚染が問題となっています。

長期化した避難生活に伴い新潟においては心のケアチームが活躍しましたし、高血圧や糖尿病などの持病の悪化も問題になりました。 統計によれば、 前回の宮城県沖地震において救急車はほとんど使われず、多くの被災者が近くの診療所や病院で治療を受けていました。 2003年の宮城県北部地震で病院自体が被災したことは記憶に新しいことです。このように災害時には救急のシステムも破壊されます。 自分の家は自分で守る、 次に近所を守るという姿勢が大切です。

 

災害時の自助共助

まず我が家をチェックすることが大切です。 耐震診断も重要ですが家が壊れなくても家具の転倒で被災する人がたくさんいます。 家具のチェックも重要です。 行政で作成している防災 MAP はどれだけ活用されているでしょうか。 検討が必要です。

いま産官学共同で宮城県沖地震に対する備えを話し合っています。 そこで重視されているのは、 地域コミュニティーつまり町内会での自主防災です。最小単位の医療コミュニティーの充実すなわち近所の開業医同士の連携も重要です。 災害が発生して72時間は自己責任 (自助)、そして町内会を中心とする自主防災コミュニティー (共助) を活用しなければいけません、 医師会もこのシステムに参加する必要があります。

平時から自信を持って自身を守る自助。 家族の安全を守って次に自分のできる仕事を遂行する。 地域コミュニティーの復活つまり共助。 これらが災害時には大切です。

 

 

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人と自然の豊かな関係

 

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青森大学教授        
エッセイスト・ジャーナリスト 
見 城 美枝子 先生

 

 

 

 

本日はお休みの午後、 そして七夕祭りの前の何かとお忙しいときに、 たくさんのかたにお集まりいただきありがとうございます。

わたくしは大学卒業後TBSに入社してアナウンサーとして仕事を始めました。 放送の仕事というのは本当に変化が激しくて、 毎日勉強しても足りなくなる世界です。 まさに、 学び続けるのが人生というのがわたくしの実感です。

わたくしは群馬県の館林市という地方都市で育ちました。 早くから都会へ出たい欲求がありましたが、 地元に留め置かれて高校時代を過ごしました。大人によって 「タガ」 がはめられていたのです。 そのせいか大学進学のときには 「タガ」 が外れて、 まさにしなっていた弓がはじけるように、東京へ出て行きました。 在学中に放送界で仕事をすると決め、 そのために一生懸命勉強してTBS入社、 入社後も休む暇なく仕事を続けました。当時30歳までに出産を終えるというのが常識でしたが、 わたくしは少し遅れて30過ぎで初産。

当時は30歳でもう高齢出産だったんですよ。カルテに 「マル高」 と書いてあってショックでした。 長男を出産して1カ月後にはもう職場に復帰しました。 それでも母乳を冷凍して、離乳食も手作りで子育ても一生懸命にやりました。

翌年すぐ2人目を妊娠しました。 ところがこの子を出張中のチェコで流産してしまったのです。 言葉の通じない共産圏の国での心細い入院生活、大きな喪失感が襲いました。 でもチェコのドクターやスタッフは本当に優しく安心させてくれました。 言葉が通じなくても心は通じるんですね。おかげさまでその後2人目の子供を出産することができました。 なんとその子はプラハで流産したその同じ日に生まれてきたんです。その後さらに2人の子供を出産して30代は仕事と子育てに没頭しました。

人にはいくら一生懸命にしてもあがなえないものがあります。 時の流れもそのひとつ。 自然が大切といっても、 人の手がまったく入っていない自然の中で人は暮らせません。 人が暮らすために人は自然に人工の囲いを作らなければいけません。

45歳になって子育てが一段落したときに、 自分からすべてを出し尽くして 「空」 になった感じがしました。 そこで私はもう一度勉強をして自分を再生することを宣言して、 早稲田の理工学部建築学科の修士課程に入学しました。

建築というのは人と自然をつなぐ文化です。 外国を旅行すると遠くからでも日本人であることが分かることがあります。それは日本人らしい立ち居振る舞いというものを遠くから感じるからだと思います。 この日本人らしさは、 生まれてから親しみ続けてきた、履物を脱ぐ住宅空間が生み出したものではないでしょうか。 奈良時代日本の建築は中国の建築をそのまま持ち込んだものでしたが、次第に日本独特の文化を形成してきました。

武家の出現がそのきっかけになっています。 玄関という外とも内ともつかない空間が特徴です。玄関を入れば靴を脱ぎ内に入るほどに丸腰になっていきます。 日本人の人間関係は非常に近しい関係で、 近いがゆえに 「礼」 が必要になります。

ふすまの向こう側に人がいることがわかれば決して開けない、 気配の文化といっても良いでしょう。 のき・ひさしもまた日本の文化です。のきの存在により部屋の中から明るい外を心地よく見ることができます。

部屋、 縁側、 のき、 庭と順を追って外とつながっているために距離感、奥行きが出てくるのです。 お寺などののき下には犬走という、 のきから落ちる雨を受け止める玉砂利があって、雨の音までも楽しめる工夫がなされています。

このような建築の文化が人と自然の豊かな関係を作り出しています。 最近水の災害が増えていますが、昔の人は水害が起こりやすい場所には水にかかわる地名をつけて注意していたものです。 いま、 そんな昔の地名をどんどん変えています。 低い土地に「○○が丘」 なんて地名をつけ、 昔の人の知恵が生かされなくなってきているのです。 人と自然のよい関係が崩れているということです。

人間が生きていくには自然と折り合いをつけなければなりません。 私たちは、 生む、 食べる、 死ぬということからは逃れられません。できれば楽しく食べて生きたいものです。

Think globally, Act locally (地球規模で考えて、 地域で活動する)という姿勢が大切です。 次の世代も快適に過ごせるように私たちが一生懸命に考えて勉強し、 人と自然の豊かな関係を築きましょう。

ご静聴ありがとうございました。

(文責:草刈千賀志)