第545回市民医学講座:乳がん治療の基本と最近の動向

IMG_9835.jpg東北大学医学系研究科ナノ医科学寄附講座准教授

東北大学病院乳腺内分泌外科

武田元博 先生

と き:平成23年1月20日(木)午後1時30分

ところ:仙台市急患センター・

     仙台市医師会館2Fホール

 

 

 

乳がん治療の基本と最近の動向

1.乳がんの罹患率、死亡率
がんはわが国の死因の第1位を占めて久しい。この中で乳がんの罹患数は増加の一途をたどっており、2005年は50,695人が罹患し、1990年(24,697人)の2倍以上となっている。また死亡数も急激に増加し、2009年に11,918人が死亡し、1990年(5,848人)の2倍以上となった。そして罹患率は女性のがんの1位、死
亡率は女性の4位となっている。このように乳がんはこの20年で急速に増加しており、救命率の向上は急を要する課題である。

2.乳がん死亡率低減に向けて必要なこと
がんの死亡率の改善にはさまざまな方面からのアプローチが必須である。それはどのがんでも重要なことであるが、罹患リスクの低減、早期発見、適切な治療の選択である。これは2002年WHOが提唱したBasic Principle of Cancer Controlに述べられていることで、本来はこれらに加え、緩和ケアが挙げられる。どの項目も乳がん診療において重要であるが、本稿では特に救命率向上に焦点を当て、早期発見、適切な治療の選択について最近の研究、臨床の動向を概説したい。

3.乳がん検診
乳がんの死亡率を下げる大きな要素として早期がんの発見が挙げられる。欧米では早くからマンモグラフィによる乳がん検診が実施され、高い受診率により近年死亡率の低下が認められている。わが国でも乳がん検診にマンモグラフィが導入されているが、乳がん検診受診率は全国平均で20%程度に留まる。宮城県は全国的に見ても乳がん検診受診率が高く、40歳以上の乳がん検診受診率は2007年で32.9%に達し、全国でも1位となっている。しかし欧米の70〜80%に比べはるかに低いのが現状である。救命率の向上には乳がん検診受診率の向上が必須と考えられるが、検診には公的補助が必要であり、国・都道府県の厳しい財政状況から急激な向上は困難である。しかし早期発見は救命率の向上とともに治療に必要な医療費の低減効果もあるため、費用対効果も考慮しつつ、今後取り組まなければいけない課題である。

2009年11月米政府の予防医学作業部会は40歳代のマンモグラフィ検診の救命率向上に関し上乗せ効果がほとんどないと発表して波紋を呼んだが、40歳代のマンモグラフィ検診の廃止には学会や女性団体からの反対もあり、議論が続いている。40歳代の乳腺濃度が高いことが、がん発見率の高くない原因であり、新たに有効な検診方法の開発も必要である。その方法として超音波検査が有用な可能性があることから、わが国においては40歳代の超音波検診に関する臨床試験が進行中(JSTART)であり、その結果が待たれる。

4.乳がんの治療
乳がん治療は四つの柱から成る。局所治療としての外科手術、放射線、および全身治療としての化学療法と内分泌療法(ホルモン療法)である。従来乳がん治療は外科手術が中心であったが、近年術前後の化学療法、内分泌療法および放射線治療の効果が明らかになるにつれ、これらの診療に占める割合が高くなってきた。以下それぞれの治療について最近の動向を述べる。

外科手術:他の臓器同様、機能および臓器温存手術が広く行われている。乳がん主病巣については乳房温存手術、さらに腋窩リンパ節についてはセンチネルリンパ節生検が一般に行われるようになった。センチネルリンパ節生検は転移を起こす可能性のあるリンパ節同定と迅速病診断に基づく腋窩郭清省略の手法である。
化学療法:手術前後の再発予防投与と転移再発に対する治療とがあり、それぞれ投与する薬剤、プロトコールが若干異なる。術後の予防的投与ではアントラサイクリンやタキサン系抗がん剤を中心に用い、最近では乳がん細胞表面にある
HER2タンパクに対する分子標的薬であるトラスツズマブも用いられるようになった。転移再発乳がんに対しては上記のアントラサイクリン、タキサン、トラスツズマブのほか、ビノレルビン、トポテシンなどが投与される。
内分泌療法:乳がんの約7割はエストロゲンレセプター陽性であり、内分泌療法が奏功する場合が多く、エストロゲンレセプター陽性症例の場合、ほとんどが内分泌療法の対象となる。閉経前後で治療薬が異なり、閉経前ではクエン酸タモキシフェンやLH-RHアゴニスト、閉経後ではクエン酸タモキシフェンやアロマターゼ阻害剤などが投与される。

上記治療はエビデンスに基づいた治療法が一般に選択される。エビデンスの情報源として代表的な例を挙げると、わが国の乳癌学会のガイドライン(書籍として金原出版から発売)や国際的エキスパートミーティングであるInternational Breast Cancer Congress(スイスの古都St. Gallenで2年に1回開催)の勧告、さらにエビデンスのデータベースとして米国のNCCNから診療方針についてのガイドライン(オンライン掲載)などがあり、多くの乳がん専門施設がこれらの勧告を参考にして治療を行うようになってきた。

5.遺伝子診断による再発リスクの予測
再発リスクが予測できれば高リスク患者に対する重点的化学療法による再発予防効果、ならびに救命率の向上が期待できる。近年Oncotype DX、マンマプリントが米国、欧州でそれぞれ開発・臨床利用されている。Oncotype DXはエストロゲンレセプター陽性の早期がん患者の再発ハイリスク症例を見つけ出すために開発され、がんの増殖、浸潤、ホルモン受容体などにかかわる複数の遺伝子検査を行い、各項目をスコア化し、総合スコアから再発のリスクを評価するが、再発リスクの予測精度は高く、わが国でも臨床試験においてその有用性が示され、徐々に利用が拡がっている。しかし現在のところ、保険適用とはならないため高価な検査となる。

6.今後の乳がん診療の動向
薬物療法開発は乳がん増殖、転移の分子メカニズム、血管新生などの成長環境をはじめ、さまざまな側面からのアプローチが試みられ、今後さらにこの流れは加速するものと考えられる。特に分子標的治療薬については、ここに挙げたがんの進行にかかわるそれぞれの因子に対する薬剤が開発されつつあり、有効な治療薬がこれらの中から現れることが期待される。しかしながら新薬の登場によって高価な薬が増えることもまた事実であり、なるべく少ない種類、投与量で有効な薬の登場を願うばかりである。