月別アーカイブ: 2011年3月

仙台市内における医療機関について

仙台市内における医療機関については、条件付診療または通常診療を開始しておりますので、近隣のかかりつけの医療機関を受診してください。

なお、受診される際には通常診療とは異なり、ライフラインの普及状態から受付時間等の変更がありますので、事前にお問い合わせ下さい。

東日本大震災 会長からのメッセージ

 永井会長写真(H23_3_23).JPG                    東日本大震災

会長からのメッセージ

  亡くなられた多くの方々の御冥福をお祈りするとともに、被災された皆様に心から御見舞申し上げます。
 大震災から10日が経ちました。あの地震のすごさに肝を潰したのを思い出します。会員の先生方、御家族の皆様、そしてスタッフの皆様如何お過ごしでしょうか。

 3月11日午後2時46分にマグニチュード9.0の大地震、引き続いて想像を絶する巨大津波が東日本を襲った夜、停電の中、会長・副会長を始め理事が集まりました。自家発電があったためパソコンを修復することにより、事の重大さに驚愕しました。さっそく午後11時に市医師会に災害対策本部を立ち上げました。
 同日から瀨野幸治災害担当理事を始め事務局職員が泊り込み、不眠不休でがんばり、情報の収集そして緊急対応に奔走しております。瀨野理事は5日間帰宅する事もできずまさに八面六臂の活躍です。私も連日医師会に常駐し、陣頭指揮を執って参りました。

 大震災の夜に県警から検死の要請があり、かなりの死者が出たことがわかりました。翌12日から理事と連絡がとれた会員にお願いし、グランディでの検死に出動していただきました。私も13日にグランディに赴きました。検死の現場には、おびただしい数の遺体が次々とヘリコプターで運ばれていました。お子さんもおり、思わず涙し合掌しました。

 12日朝には山光札幌市医師会長から連絡があり、13日から十四大都市医師会から続々と応援部隊が入ることになりました。さっそく検死をお願いしました。大変ありがたく思っています。お陰で市医師会は仙台市の医療体制の復旧に全力を傾注できました。
 13日には第1回緊急理事会を開催しました。理事と事務局職員が無事であることを確認し、会員の先生方の無事を祈りました。その後、各地域や各病院、診療所の被害状況などを情報交換し、今後の対応について話し合いました。沿岸部の被害は甚大だが、それ以外の地域の被害はさほどではないと判明したので、次のような方針を立てました。

① できるだけ早く診療所の診療を再開することにより、市全体のかかりつけ機能を復旧させる
② 病院への外来患者集中を避け、負担を軽減し、入院医療に集中してもらう

このように非常時に地域医療をしっかり確保することが、市民の安心感に繋がると結論づけた次第です。

 ライフラインと連絡手段が途絶した中、電気がなくても水が出たら診療を始めていただくよう、会員の先生方にお願いしました。14日には129ヵ所、18日には400ヵ所を超える診療所が診療を再開できたのを、大変うれしく思うとともに力強く感じました。

 現在は避難所への医療支援が重要になっております。多くの会員の先生方が近隣の避難所を巡回していただいていますことに感謝いたします。 私は、青沼副会長、瀨野・阿部災害担当理事らと、宮城野区と若林区の500名から1000名を超える被災者がいる避難所を視察してきました。ほとんどの方は市の沿岸部で全てを無くした方々でした。ある避難所では、地区長の方が「医師会の会長さんが私たちを助けに来てくれた」と紹介してくれたとき大きな拍手がありました。その中には、私がかかりつけの患者さん家族もいて、「生きていてよかった」と手を握り喜び合いました。 市医師会としては、生活環境が劣悪な中で暮している方々の健康管理に万全を期したいと考えております。とくに多くの被災者がいる4つの避難所には市当局と検討し医師を常駐する体制を構築いたしました。十四大都市医師会からの応援部隊、ボランティアの先生、国立病院機構、そしてオープン病院の先生方に御支援いただいております。

 また、市医師会は市当局や各関係団体と緊密に連携し、対応しております。医薬品の流通円滑化、ガソリンの確保等についても鋭意交渉し、確実な情報のみ先生方に提供するよう努力しております。

 これからは、長期戦になりますが、会員の先生方のご協力、御支援よろしくお願い致します。

                                        

                                        仙台市医師会

                                        会長 永 井 幸 夫