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ドクタークラブ便り

仙台ドクタークラブ創部70周年記念祝賀会

令和元年11月29日(金)
勝山館
気温:7.4℃

本日は、納会を兼ねて仙台ドクタークラブ(以下、ド・ク)創部70周年記念祝賀会である。
ド・クからは、永井幸夫会長、千田典男、山田明之両名誉会長ならびに阿部精太郎顧問、仙台市医師会からは、松井邦昭顧問、長野正裕副会長のほか、古賀詔子、清水文人、松永 弦、島村弘宗、浅沼孝和、安藤健二郎、綿谷秀弥、そして筆者の各理事が出席した(順不同)。

午後7時、浅沼(孝)庶務の司会進行で開会。
まず、ド・クの総監督でもある松井顧問の挨拶である。
「本日は、ド・ク創部70周年記念祝賀会です。顧みれば、医師の草野球チームを70年にわたり続けてきた事は凄いことだと思います。ド・クは、県外の医師会と定期戦を行うことによって仙台市医師会の親善大使の役目を果たしており、この間の試合の記録は仙台市医師会報に『ドクタークラブ便り』としてすべて掲載しております。」
そして、この度創部70周年を記念して5冊目となる「仙台ドクタークラブ史」を刊行する予定であることを報告した。
ここで、司会の浅沼からド・クの戦績が紹介された。
ド・クの緒戦は、昭和25年4月26日に遡る。仙台市薬剤師会相手に惜敗したものの、翌週の第2戦で初勝利を上げ、その後70年間で計653試合を行い、通算380勝249敗24分。勝率は、5割8分2厘である。

続いて、元プロ野球投手の江尻慎太郎氏による記念講演である。
江尻氏は、仙台二高から一般入試で早稲田大学社会科学部へ進学。東京六大学野球で活躍の後、2001年ドラフト自由獲得枠で日本ハムへ入団。その後横浜DeNA、福岡ソフトバンクを経て引退。13年に渡る一軍での成績は、277試合に登板し、28勝20敗53ホールド1セーブ。創立120年の歴史を誇る仙台二高で唯一無二のプロ野球選手である。
スタメンの平均年齢が50代半ばを優に超えるド・クの野球小僧達は来季、今以上に進化している自分がグランドで躍動する自らの姿を脳裏に思い描きながら江尻氏の講演を拝聴していたに相違ない。

 

 

永井会長のご挨拶である。
「70周年おめでとうございます。70と言えば古稀ですね。実は私も古稀なのです。私も研修医の時には野球をやらされまして、本日の江尻さんの話をあの頃に聞いておけばもっと上手くなっていたかも知れません。」 
と、笑いを誘った後、
「ド・クは、全国の医師会と対戦して、これからも是非仙台市医師会の名を全国に広めて下さい。」
と、ド・クの今後のさらなる活躍に期待を寄せた。
千田顧問による乾杯である。
かつて医師会長時代、必ずと言ってよいほど遠征にも同行された千田顧問は、弘前遠征時の同医師会の至宝・弘前の太陽こと前田慶子、同じく同医師会のケーシー高峰こと鳴海康安両先生の思い出のひとコマを93歳にして未だ健在の巧妙な語り口で紹介した後、
「ド・クは、仙台市医師会のstatusをaufhebenしました。」
と、締め括った。

暫し歓談の後、本日の納会に出席の部員による本年度の最高殊勲選手(MVP)賞の投票である。
有効票数16票のうち12票を獲得した中川が初の栄冠に輝いた。
「入院してカムバックしました。」
病み上がりながら、皆勤賞に加え、首位打者に最多安打、最多盗塁の各賞を授賞。今季打撃開眼の中川は、堂々MVPの仲間入りを果たしたその名誉と引き換えに、図らずも来季以降板垣会計部長補佐就任を命じられたのだった。

 

満を持して登壇された阿部前監督は、
「江尻氏のお話は非常に格調が高かったけれども、プロ野球のトップレベルの話はド・クには通用いたしません。」
と、釘を刺した後、半世紀前創部20周年の記念に配られたボールを回顧談と共に披露した。
記念球を譲り受けた永井会長は、会長室に飾ることを確約し早速台座の手配に取りかかることになった。
最後に、72歳の佐藤(韶)監督が締めの挨拶を行い、3時間に及んだド・ク創部70周年の記念祝賀会もお開きとなった。

 

追伸。
この度、役職変更に伴いまして、平成21年度より執筆させていただきました小生によります「ドクタークラブ便り」も今回をもちまして終了と相成りました。11年間、ご愛読誠にありがとうございました。
次年度からは、野口広報、更科広報補佐のレポートをお楽しみ下さい。今後とも「ドクタークラブ便り」を何卒よろしくお願い申し上げます。

(文責:菊地胃腸科内科医院 菊地 徹)